言語情報科学・98年冬学期
認知と言語構造 (T. Ohori)

<Syllabus>

 認知言語学の概説を目指します。学説史的背景につづいて、カテゴリー化、メタファー、知識構造(フレームとスキーマ)、構文ネットワーク、推論のメカニズム、意味変化と文法化(含む個体発生 vs. 系統発生)、類型論的考察、言語と文化、等のテーマについて論じます。言語構造の概念的・伝達的基盤の考察を通じて、「ことばとこころのサイエンス」への関心が深まれば幸いです。評価は数回の小課題と期末のレポート又はテストを基にします。テキストは特に指定しませんが、随時クラスで参考文献を示し、必要に応じてコピーを配布します。

全体の構成

  1. 序論
  2. 事象構造        --Q's & Com's
  3. カテゴリー化      --Q's & Com's
  4. 知識構造・1      --Q's & Com's
  5. 知識構造・2      --Q's & Com's
  6. メタファーとメトニミー --Q's & Com's-1 Q's & Com's-2
  7. 構文的知識・1     --Q's & Com's
  8. 構文的知識・2     --Q's & Com's-1 Q's & Com's-2
  9. 推論と文脈
  10. 文法化         --Q's & Com's
  11. 文化・談話・認識
  12. 展望

  Assignment #1   Assignment #2 (plus some references)   Assignment #3

概説的文献 Part One

 a)J. テイラー『認知言語学のための14章』(紀伊国屋書店)[原著1989年、1995年改訂版、翻訳1996年]
 b)河上誓作編『認知言語学の基礎』(研究社出版)[1996年]
 c)F. ウンゲラー&H.-J.シュミット『認知言語学入門』(大修館書店)[原著1996年、翻訳1998年]
 −−以上、教育的配慮をもった概説。

 d)中右実『認知意味論の原理』(大修館書店)[1994年]
 e)吉村公宏『認知意味論の方法』(人文書院)[1995年]
 f)山梨正明『認知文法論』(ひつじ書房)[1995年]
 −−題名は一般的だが、d)は著者の理論を展開した研究書。e)はケーススタディーをまとめた性格が強い。f)は幅広く論じており概説書ともいえるが、体系化の仕方に著者の個性が強く出ている。

 g)追加:岩波講座『言語の科学4・意味』[1998年]は4通りの概説をおさめたもの。中でも坂原茂「認知的アプローチ」は概説としてよくまとまっている。
 h)追加:杉本孝司『意味論2・認知意味論』[1999年]は「意味論」といいつつ、事実上、文法を含め認知言語学の各理論をまとめたものになっている。メンタル・スペース理論についても一章をさいているのが他と違うところ。

目次の対応表
 −−ウンゲラー&シュミットはU、河上他はK、テイラーはTで表記

<序論>
K「2 カテゴリー化と認識:2.3 概念構造の形成」

<事象構造>
U「4 図と地:4.1 図と地、トラジェクターとランドマーク」
U「4 図と地:4.2 図と地と二つのメタファー」
U「5 フレームと注意のアプローチ:5.2 事態フレームと注意対象の顕在化」
K「1 知覚の理論と認知言語学」

<カテゴリー化>
U「1 プロトタイプとカテゴリー」
U「2 カテゴリー化のレベル」
U「6 認知言語学のその他のテーマ:6.3 語彙変化とプロトタイプ」
K「2 カテゴリー化と認識:2.1 カテゴリー化とカテゴリー論 (pp. 27-38)」
T「1 色彩のカテゴリー化」
T「2 カテゴリー化への古典的アプローチ」
T「3 プロトタイプ・カテゴリー:その1」
T「10 文法カテゴリー」
T「14 最近の発展(1995年)」

<知識構造>
U「1 プロトタイプとカテゴリー:1.3 コンテクスト依存性と文化モデル」
U「4 図と地:4.1 図と地、トラジェクターとランドマーク」
U「4 図と地:4.3 その他のタイプの際立ちと認知処理」
U「5 フレームと注意のアプローチ:5.1 フレームとスクリプト」
K「2 カテゴリー化と認識:2.1 カテゴリー化とカテゴリー論 (pp. 39-53)」
T「4 プロトタイプ・カテゴリー:その2」
T「5 言語的知識と百科辞典的知識」
T「6 多義と意味の連鎖」

<メタファーとメトニミー>
U「3 概念を構成する仕組みとしてのメタファーとメトニミー」
U「6 認知言語学のその他のテーマ:6.3 語彙変化とプロトタイプ性」
K「2 カテゴリー化と認識:2.2 Lakoff and Johnsonのメタファー論」
K「3 語彙の意味研究」
T「7 カテゴリーの拡張:メトニミーとメタファー」

<構文的知識>
U「4 図と地:4.2 図と地と二つのメタファー」
K「4 構文研究」
T「8 形態論と統語論における多義的カテゴリー」
T「11 プロトタイプ・カテゴリーとしての統語構造」

<文法化>
U「6 認知言語学のその他のテーマ:6.2 文法化」
K「5 史的研究−−文法化・意味変化」

<文化・談話・認識>
U「5 フレームと注意のアプローチ:5.3 言語間でのフレーム化の違いと物語テクストにおけるその使用」

<展望>
U「6 認知言語学のその他のテーマ:6.1 類像性」
U「6 認知言語学のその他のテーマ:6.4 外国語教育への影響」
T「13 カテゴリーの習得」

概説的文献 Part Two (国内一般雑誌から)

『言語』(大修館)
・「変容する言語学」(1991-10)
・「現代言語学のトピックス」(1992-7)
・「言語研究の新しいパラダイム」(1992-12)
・「文法カテゴリーと認識」(1993-10)
・「言語類型論の現在」(1994-9)
・「デカルト派言語学を超えて」(1996-4)
・「意味のありか」(1997-9)
・「入門・認知言語学」(1998-11)
『日本語学』(明治書院)
・「認知科学と日本語研究」(1995-9)
『認知科学』(共立出版)
・「認知言語学」(1996-3)
『英語青年』(研究社)
・「認知言語学の最先端」(1997-3)
・「文法と認知の接点を探る」(1998-12)
『英語教育』(大修館)
・「認知意味論から見た英文法」(1994-4〜1995-3連載)

その他
 言語学に関する予備知識は多少は想定するが、不可欠ではない。1−2年の時に授業を取っていれば大体よい。意味論の初歩的な概説としては池上嘉彦編『英語の意味』(研究社)を勧めておく。異なったバックグラウンドの人たちが来ると思われるので、分からないことはためらわず質問すること。


言語情報科学-I('98 Winter, T. Ohori)・Assignment #1

<はじめに>
○課題:a) Erbaughの論文を読み、study guideの「Q」のついた箇所(6個)を考察;b) これまでの授業に基づき、下のreview questionsを考察。長さは適当。ただし、長くなりすぎないこと。

○それから、今のところ専攻のホームページが置いてあるコンピュータが活動停止中で(シリアスな状態で、回復には時間がかかるとのこと)、いつものQuestion & Commentsがアクセスできないので、これについては次の授業の時にプリントしたものを配ります。

<Study Guide>
Mary S. Erbaugh "Taking stock: the development of Chinese noun classifiers historically and in young children", in Collete G. Craig (ed.) Noun Classes and Categorization. Amsterdam: John Benjamins. Pp. 399-436.

○この論文は分量もやや多く、予備知識がないと読むのが難しいので、補足的な解説をする。言語学用語辞典のようなものは何通りか出ているので、図書館などで参考にすると良い(「英語学事典」、「国語学事典」といったものも参考になる)。英語圏ではここ10年くらいの間に何種類も出ているが、日本語のものは追いついていない。

○以下、部分的ながら注釈をNで順に加える。「読解」のためのチェックポイントをQで示す。

1. Introduction
p. 399
N classifierが何かは今日の授業でわかったと思う。
N phonemic mergerとは、歴史的に音韻が変化し、もともと2つ(またはそれ以上)の異なった音韻であったものが同一の形になってしまうこと。例えば*trekと*trepというペアがあったと仮定して、語末の子音脱落によりどちらもtreになってしまうような場合。
N 1)-6)のポイントはここで分からなくてよい。結論で繰り返されている。
p. 400
N 上の段落で言っている"Chinese classifier use is variable rather than categorical"というのは日本語の場合も同様。Categorialというのは古典的な二者択一的分類と同義。
Q1 ここで「山羊」について何通りかの類別詞の使い方が示されている。著者は言っていないが、それぞれの選ばれ方をカテゴリー化のレベルとプロファイルという概念をもとに解説せよ。
p. 401
N 多様性がどこから来るかという点。この部分はスキップ可。
N 以下のデータの分析でtype/tokenという用語が出るが、typeとはここでは語彙として認識される対象、tokenとはその出現頻度。例えばthe boy drove the ball over the fenceといえばtheという語=タイプとしての出現は1だが、頻度=トークンとしては3ということになる。ちなみに、これは音や文字のレベルでも言える。上の例ではeという文字はタイプとしては1度、トークンとしては6度の出現。

2. Description of Chinese noun classifiers
p. 402
N Sino-Tibetanはシナ=チベット語族。Measure classifierは量を表す(測る)もので、ちなみにjin (pound)は斤、ping (bottle)は瓶、等。対象の性質を表した語でないことに注意。したがって類別詞というよりは計量詞といえる。Special classifierはカテゴリーの特定化されたもの。この論文ではspecial classifierを扱う。
p. 403
N pi (horse-thing)は匹、zhang (flat thing)は張。その他はp. 405を参照。
p. 404
N 5行目、"The core shape classifiers..."にいうcoreは中心的メンバーという意味、"family-defining ones"は形ではなく用途、性質などに基づいたクラス。

3. Adult classifier use
Q2 このセクション全体を通じて明らかになった傾向の中で、特に常識的に思われていることと異なる事実とは何か。
N The Pear Storiesについての説明は背景的情報なので、スキップ可。

4. Child classifier use
N 本文中にも説明はあるが、2.10などは2歳10カ月のこと。
p. 414
N "Skinny"とかは専門用語ではなく、直観的にまとめたものなので、何となく分かればよい。
4.1 Method
N 一応読めばわかると思うが、台北在住の北京語を母国語とする家庭に育つ2歳児を対象。本人の発話や親との会話を録音。この節の2段落目の"longtitudinal study"とは、一人の子供の成長をフォローする研究(何人もの子供を同時的に調べるのでなく)。Contextualizationとは、会話が行われる場面=コンテクストについて観察者が小声で(本文にはwhisperとある)記録すること。
p. 417
4.2 Early use
Q3 ここでいうlexical stageとはどのようなものか、要約せよ。
4.3 Later use
N Piagetian action schemaとはピアジェ(今世紀後半に活躍したスイスの発達心理学者)の学説にいうschema(もともとフランス語で書かれたので「シェマ」と日本語化される。認知言語学でいうスキーマとは違う)のうち、action、つまり身体的な操作を通じて概念習得がなされる過程をいう(...というのは私のおぼろげな記憶なので、心理学事典などを見て自分でチェックすることをおすすめします)。
p. 418-
Q4 この表から著者の主張が理解されるか確認せよ。また、著者が言うことの他に何がくみとれるか。P. 422の表についても同様のことを考察せよ。
p. 420
N 3行目のnominal referentとは直訳的には「名詞的指示対象」。つまりある語によって指される物のこと。
4.4 Broadening use
p. 424
N 余談ながら、Sun Wu-kongは孫悟空。なお、ここの例文はデータとした絵本の状況設定が込み入っていることを述べているので、議論の本筋とは関係ない。
4.5 Discourse strategies
p. 423
N discourse strategiesとは、談話=コミュニケーションが効率的に進行するように言語表現を組み立てるさまざまな原則・方法のこと。
Q5 5行目から。Mandarin classifiers are individually rather than grammatically triggeredとはどういうことか。この節の説明を参考に自分なりにまとめよ。

5. Historical trends
N 王朝の名前は歴史の知識でわかると思う。Shangは商だが、日本の教科書では殷ということがある(少なくとも私はそう習った)。
Q6 幼児の習得と歴史的変化との共通性はどのような理由によるものだと著者は言っているか。
p. 428
N (non-)quantified useとは計量的に使う語。P. 402の解説を参照。

6. Summary
p. 431
N 幼児の習得(=個体発生)と歴史的変化(=系統発生)の間に並行性をもとめるのは興味あるアプローチであるが、両者の間には本質的な違いも存在するはずである。この論文では取り上げられていないが、並行性の限界についても考察する必要がある(どういう点で異なりが出てくるか、等)。

<Review Questions>
1「動物園のクマがかわった」という文には何通りかの解釈がある。そのうち2つを取り上げて、カテゴリー化のレベルという観点から違いを説明せよ。
2 プロトタイプとカテゴリー化の分析として、類別詞が特に「うまくいく」のは何故か考察せよ。


言語情報科学-I('98 Winter, T. Ohori)・Assignment #2

冬休みの課題(締め切り・1月11日)
1)野村論文を読んで、疑問点、感想を述べる。

2)野村論文をモデルにして、何らかの言語ついて具体的なメタファーの分析を行う。文章・会話を集め、例をピックアップして考察すること。

3)プロトタイプについて、そのリアリティーを「実証」するための手段を考案し、メリット、デメリットについて論じなさい。

○はじめの2つは実質一つの課題です。今回は日本語で書かれていて、読みやすいので特に注はつけませんでした。授業で取り上げたメタファー論のちょうどいいケーススタディーとして読んで下さい。

○分析の方は、本格的にやるといくらでも長くできるので、面白いアイデアが出て例示ができていればよし、とします。日本語についても、また他の言語をよく知っているヒトはそれでもOKです。人間や社会の見方に関するもの、文化的な比較が可能なものだと論が展開しやすいでしょう。

○三番目は、決まった答えがあるわけではないので、「思考実験」(thought expriment)とでも思って下さい。同様の問題提起は、イメージスキーマやメタファーといった装置についてもできます。なお、脳を直接外科的に調べる、というのは「禁じ手」とします。まあ、ゲームのルールということで。ときどき質問に会うのですが、脳神経科学は部外者が期待するほど発展しているわけではなく、基本的には脳機能の局所性、つまりどのようなタスクを行っているときに脳のどんな部分が活性化するか、といった問いかけが中心のようです(しかも、個人差や実験誤差が意外なくらい大きい)。遺伝子生物学にしても同様で、ときどき「言語能力の元になる遺伝子を発見!」というような記事が出ますが、これは「毛生え薬を発見!」と同じ程度のマコトです。したがって、ある概念/語のプロトタイプの貯蔵されている脳神経なり遺伝子なりを特定することは、現在は不可能です。結局、言語学者が一番知りたいことというのは直接触れることができないのです。

○クラスで配ったプリントでは文献案内をしていなかったので、補足します。
Croft, William (1991) Syntactic Categories and Grammatical Relations. Chicago: University of Chicago Press.
Dixon, Richard M. W (1977) "Where have all the adjectives gone?", Studies in Language 1: 19-80. (同名書、1982年刊、Amsterdam: John Benjaminsに再録)
Englebretson, Robert (1997) "Genre and grammar: predicative and attributive adjectives in Spoken English", Berkeley Linguistics Society 23.
Frawley, William (1992) Linguistic Semantics. Hillsdale: Lawrence Erlbaum Associates.
Givon, Talmy (1979) On Understanding Grammar. New York: Academic Press.
-- (1984) Syntax: A Functional-Typological Introduction. Amsterdam: John Benjamins. Vol. 1.
Hopper, Paul J. and Sandra A. Thompson (1984) "The discourse basis for lexical categories in universal grammar", Language 60: 703-752.
-- (1985) "The iconicity of the universal categories 'noun' and 'verb'", in Haiman, John (ed.) Iconicity in Syntax. Amsterdam: John Benjamins. Pp. 151-183.
Langacker, Ronald W. (1987) "Nouns and verbs", Language 63: 53-94.
Ohori, Toshio (1994) Review article of Croft (1991), English Linguistics 11: 318-339.
Thompson, Sandra A. (1988) "A discourse approach to the cross-linguistic category 'adjective'", In: Hawkins, John (ed.) Explaining Language Universals. Oxford: Blackwell. Pp. 167-210.
Uehara, Satoshi (1998) Syntactic Categories in Japanese: A Cognitive and Typological Introduction. Tokyo: Kurosio.

 クラスでも説明したように、Givon, Hopper and Thompson, Langackerはそれぞれの立場からの名詞と動詞の規定の試み。「それぞれ」とはいっても認知的・機能的である点は共通。Frawleyは意味論の良質で高度な概説だが、3章は名詞というカテゴリー(彼の用語ではentititiesという意味的概念)の規定に当てられており、この三者の議論の要約がある。Croftはそれらを進めてまとめようとした部分が本全体の約3分の1を占める。読みずらいという人はOhoriでとりあえず概要をつかむとよいかも。UeharaはCroft的な考えに基づいて日本の伝統的研究もふまえつつ品詞論を展開したもの。Dixonは形容詞の言語ごとの現れ方の違いを扱ったもので、Thompsonはその談話レベルからの説明の試み。Englebretsonはその路線の延長上でよりきめ細かいデータの分析を行ったもの。  この他、品詞論自体は先行研究もやたらと多く、重いものだが、認知的なものはむしろ(主語や格表示といったテーマに比べれば)少ないので、落差を意識しつつ進めれば興味深い研究が可能かもしれない。他にも、よく知られていない言語、品詞の転換や単複の区別などに目を向けると色々と可能性があるように思われる。


言語情報科学('98 Winter, T. Ohori)Assignment #3, due Feb. 5

L. Michaelis & K. Lambrecht, "Toward a construction-based theory of language function: the case of nominal extraposition"について

<質問>
Q1 NEとRDの統語論的(syntactic)な相違を要約せよ。
Q2 NEとRDの語用論的(pragmatic)な相違を要約せよ。
Q3 pp. 220-、LFGとの比較で構文中心的アプローチの利点を述べよ。
Q4 p. 228、scalar propertiesとはこの場合どのようなもので、NE構文ではどう実現しているか。
Q5 p. 229、NP refers metonymicallyとはこの場合どのようなものか。
Q6 p. 244、ここの表にあげられている各種構文について、2つを選んで本文中の説明に基づいて特徴を解説せよ。
Q7 日本語(もしくはあなたのよく知っている言語)について、Construction Grammar的アプローチで分析すると面白そうな構文、現象をとりあげ、分析の可能性について考察せよ(時間の制約があるので、実際の分析までは進まなくてよい)。

<注(用語等)>
Sec. 1
p. 215
    properties of information structure--後述、focusやactivation等のこと。
    illocutionary force--発話がもつコンテクスト内での効力。大きなカテゴリーとしては「命令」、「感嘆」など。
p. 216
段1  Right Dislocation (RD)--これは本文の説明通り。
    a pronominal subject which apparently corefers with a...--「同一指示」、つまり同じ対象を指しているということ。
段2  monostratal, unification-based--monostratalとは「変形」規則を認めないこと。つまりある構造から別の構造を派生して(例:能動->受動)文の形を説明する、ということはしない。これだと設定する構文のタイプは増えるが、計算量は少なく、シンプルになる。Unificationとはそのための計算、つまり部分を構成する要素の情報を集積し(=「単一化」)、全体の構造をつくりだすプロセス。細かいことはややこしいのでパス可。
段2-3ハハハ inheritance--これはunification的分析をするときに、ある構造と別の構造との関係づけを指していう。全体−部分なら(文に対する述語など)hierarchicalとなり、類似した構造の関係づけなら(NEとRDなど)networkという...はず。
p. 217
    ラテン語については私も分からない。パス可。
段4  各種「構文」について列挙されている。linking constructionとはスタンダードな文法理論ではargument structure(項構造)ということが多い。constituencyは後で出る、語の連続がまとまった句をなしうるか、という単位の形成にかかわる概念。これもスタンダードな分析では「構文」とはわざわざ言わず、文法規則の一部として見られる。
    taxonomic epiphenomena--taxonomicというのは、一般原理を考察せずに個々のデータを整理分類して満足する、という意味でチョムスキー派にとっては対抗勢力を悪罵するときの決まり文句。したがってチョムスキー派からすると、「XX構文」などというのは限られた一般原理のはたらきから事後的に導かれるもので、基本的な分析上の単位ではないことになる。この論文(およびクラスでとった立場)はその逆。
p. 218
段1  パス可。
段2  こちらは重要なことを言っているのでよく読むこと。
p. 219
    パス可だが、identifiability, activation, topic, focusといった用語についてはちゃんと理解しておくこと。注も参考になる。
    denotata--referentと(違うときは違うのだが)ほぼ同じ。つまり言語表現の指し示す対象。単数形denotatum。
p. 220
段1-2 いちおうパス可。
段3  locative inversion--典型的には場所や方向を表す句が文頭に置かれることによって倒置が起きること。Under the table is lying a catなど。
    theme--「テーマ」ではなく、項構造における意味役割の一種。存在や移動の主体となるものをいう。上のa catなど。これに対し変化をこうむるものはpatient(被動作者)と定義される。overlay themeとかは、普通言わない。Bresnanの特殊な命名。
p. 221
段1  argument structure--既出。「議論」という意味ではない。ただし、この論文中では専門用語としてでなく地の文に議論という意味で出てくることがあるので、そのときは注意。
段3  lexical projection--語彙の(この場合は述語動詞の)意味構造が出発点となって文全体の構造が作られるということ。これを小から大への「投射」という。LFGはこれを中心とした理論。CGはprojectionだけでは説明できない要因があると考える。つまり構文という枠の与える情報を認める。
p. 222
    例文の*印は、それが「非文法的」、つまり母語話者によって認められない文であるということ。?は言わなくもないが不自然なもの。
p. 223
段2  postpredicate NP--述語動詞の後の名詞句。NEならbe動詞の後の要素。
段3  determiners--基本的には名詞句に最大のまとまりを与える要素で、英語ではthe, a, some, myのようなもの。「限定詞」と訳す。この場合whatもその一種と数えている。
p. 224
    constituency--既出。ただしいきなりでは難しいかもしれない。
p. 225-227.
    2.2 Construction Grammar...--この節はテクニカルなので全部理解できなくてよい。図1-2もいきなりでは難しい。
    Figure 1--AECはAbstract Exclamative Construction。P. 237に出てくるので要注意。
p. 228
段2  scalar properties--「尺度的」ということ。反対語をとってみると、「大−小」などは「サイズ」という一つの尺度上での位置の違い。「男−女」などは2者択一なので尺度的ではない。
p. 229
段1  scalar parameter--ここのparameterは広義の可変項ということで、生成文法でいう「原理とパラメータ」とは別物。
段3  cardinality--難しい言い方だが、要するに数。「絶対数」と言ってもよい。
p. 231
段4  これ以降、用語の定義が入るのでしっかり読んでおくこと(accessibility, identifiability等)。
p. 233
    (27)--Qとはしないが、ここに現れた違いは明確で特徴をよく表している。
p. 234
段2  noncanonical ('inverted')--Canonicalとは基本的でより正統的という意味。それに対しNEなどの語順はinvertされているとする分析が一方である。ただし著者はこれには懐疑的(だから引用符がある)。
    (29)--Presuppositionは前提、assertionはそれを背景としてなされる主張(専門的には言明と訳す)。
p. 235
    5. NE as an instance of...--この節は重要だがさすがに難しいのでパス可。あとでじっくり読み直すとよいかもしれない。


<Questions & Comments>

[以下はクラスからのコメント&質問に意見を書いたものです。授業の補助になればと思います。クラスからの質問・コメントは>印で示し、こちらからのコメントは−−で示しています。]

10月19日のクラスから

***全体について

>個々のことは理解できるのですが、概観図のようなものが全く浮かんでこないので、それが何の役に立つのか、どういう意味を持つのかわかりません。

>認知言語学関係の本をある程度は呼んだのですが、その方法論、全体を統一する枠組みとして、どうも体系だった形で自分の中でまとまらないので若干悩んでいます。ただ単純に読んだ本の数が少ないとかそういう要因ゆえなら今後原典にもあたるつもりなので杞憂に終わると思いますが。ということで、概説としてこの授業がそれをまとめるきっかけになるのでは、とも思っていますのでぜひ統一的に扱ってください。

>言語学というのは、方法論的にかなりの幅がある分野だと思うのですが、認知言語学というのはその中で今どんな位置にあるのでしょうか。いずれはほかの方法全体を包括してしまう可能性もあるのでしょうか。

>私は言語学に関して全くの素人だからよくわからないのだが、この授業では言語の理論や構造について余り厳密には扱わないのだろうか。もっといえば私は数学的な記述について期待していたのだが。

>言語観のところの客観主義と主観主義(?)について詳しい話を聞かせていただきたいのですが。

***図と地について

>「自転車(F)が12号館の前にとめてある」という例について、自転車よりも移動性の高いもの、例えばとんぼなどが登場すれば、time spanで考えて「とんぼ(F)が自転車(G)のまわりをとんでいる」となるということでいいのでしょうか。

>地(ground)は基準点になっているというところがおもしろかったです。「12号館は僕の自転車のそばにある」といわれたら、その人の世界の中心は買ったばかりの自転車なのか、と思ってしまいます。

>うさぎかあひるかの絵では、どちらのとらえ方もFigure同士でGroundがないと思われますが、実際にはどんなことでしょうか。

***因果連鎖について

>言語化の際に因果連鎖の選択が行われていることと、それを理解する際に人間がその選択から漏れた情報を無意識のうちに付加しているのであろうということを今日、はっきり自覚しました。

>参加者数は項と同じですか。

>eventと命題について eventは多値で命題は2値という表現と同じですか。

>事象構造について内容はよくわかりましたが、事象構造=言語化へのプロセスなのでしょうか?そこの関連がよくわかりませんでした。

>情報の選択→因果連鎖→言語化 というプロセスが直線的なのかどうか、互いに重なりがないのかどうかが疑問です。
>causal chainでの点と線は単純に1次元の表現でよいのでしょうか。細かく考えていくと枝分かれしたり並走したりしてしまうような気もします。

>passiveの方が影響が大きいということですが、他動性ということであればactiveと同等ではないか。

>また、受け身の文の場合はどういうchainになるのでしょうか。

>「因果連鎖の中からどこを切り出してくるか」は、eventのとらえ方に依存するならば、とらえる細かさの度合いはどこからくるのでしょうか。 因果連鎖の話で、連鎖はどんなに細かくもおおざっぱにもなるという点に疑問をもちました。例えば、「AがBをたたく」でも「○→○」で表すこともできれば「Aが片手をあげて、ふりおろして、ある角度から...」と、いくつもの「○→○」をつなぐこともできるので精密度の行程の話になると、どういう連鎖がどの程度細かいかという基準がないと一定に計れないように思いました。

>最初から状態であるものについては事象構造はないのか。例:「私は20才です」

>旗が立つ、旗を立てる、旗が立っている、という例がありましたが 旗が立つという場合に、特に立てるという言い方をしていないにも関わらず、誰かが立てたということを前提にしていることになると思いますが、この自発的に動くものと動かされるものは明確に区別されているのか、それとも明確に区別されずにイメージされているのか(先ほどの例だと、旗が勝手に立ち上がるイメージと区別されない)考えてみると不思議に思います。

>causal chainが興味深かったです。というのは、ある言説を批評するときでも、文章を書くときでもこの概念を使えるからです。特に文章で新鮮な、あるいは奇異な書き方というのは授業で習った事象の規定方法とは違うやり方をすればよいと思ったからです。

>できごと内部の情報が選択されることによって(figure/ground、状態、運動/変化など)実際、言語としてはどのように記述されるのかという実例をあげてほしかったです。

>...「素朴な物理モデル」の話のあたりで少し混乱してしまいました。 「数式化」と「言語化」とを区別しているといういう意味ですか?

***その他

>例を増やして下さい。重要なことはできるだけ板書して下さい。

>教職(英語の)に必要なのでこの授業をとっているので、教育の上での関わりの話をもう少ししてほしいです。

>修論で「驚きを表すドイツ語形容詞」について意味論・語用論的に研究しています。たとえば英語のsurprisedといえば快・不快の両方向あると思うのですが、confusedは不快だと思うのです。このような方向性を認知意味論的に説明できるでしょうか。

>レイコフ&ターナーの「詩と認知」は興味深いものでした。非常に非文学的なものにも深くメタファーの枠組みが関与していることに時折気がつきます。

>言語内の閉じた環境では、コミュニケーションが成立する訳ではない、という実感が伴った。「形式的な関数」としての言語が、現実との複合体として、より込み入った姿を示すということを学べるのだろうか?

***他分野との関連について

>言語を大脳の機能として定式化しようという野望はあるのでしょうか。

>前回の講義で、言語”習得”話が1言2言ありましたが、それと認知との関わりに興味があるのですが、何かそれを考える手がかりになるような文献はあるのでしょうか?

>命題の表記の仕方について、もう少し詳しく解説がほしかったです。

>分析哲学との関係は。

10月26のクラスから

***一般的感想

>今日はとてもおもしろかったです。特に、西洋科学のfuzzyに対する考え方、そのお話はためになりました。
>認知神経科学でもプロトタイプについてやりましたが、文系の人間なので感覚的にわかりやすかったです。
>どこかで聞いたような内容も含んでいたが、こうして整理してもらうと分かり易くていい。知識や記憶のシステムの理解の助けにどれだけなるのか楽しみである。

>言葉は経験的に定義されている(複数に)ということを、改めて認識しました。でも今日の例の家具や学生の場合はそうですが、論理学の基礎となっている用語などは経験的に定義されているわけではないように思います(違いますか?)どのような分野においてはカテゴリーのメンバー間にバリエーションがあり、またどのような分野においては古典的アプローチのように必要十分条件を見出すことができるのか、ということを知りたいです。

***プロトタイプの本質について

>プロトタイプについては理解の行くところでもあるし、また非常に興味深いところでもありますが、今日の授業中の質問の状況からも考えるに、その記述は難しいなといつも思います。今後のレポート、そして修論を考慮したときに、プロトタイプ的と自分で思ったことが、そしてそれを記述したものが、どこまで妥当なのか、ことによっては論文を根底からゆるがしかねないような気がして不安ではあります。(それはただの不勉強なのか?)

>「今の議論はどのような階層の知識でのカテゴリーに基づいてなされているのか」というのが、そもそも問題になってしまう場合もあるように思います。「ことばの意味」の違いがもとで、専門分野の違う学者同士で議論がかみ合わないのを見ることがあるので。

>今日の「カテゴリー化」という話はとても難しかったです。「プロトタイプ」は具体的でもなく、抽象的でもないならば、「プロトタイプ」それ自体も曖昧な定義だと思いました。経験からプロトタイプがうまれてくるのか、プロトタイプというものがあってから外界の認識が生まれてくるのかがわかりません。相互作用的なものでしょうか?知識の分業の理由は進化的(細かく定義しすぎると、すぐに行動に移せず先損が不利になる)に考えるとおもしろいと思いました。

>家具のプロトタイプが我々が家具と認識しているものの中で最もポピュラーなものだとすると、民族、国が違えば、プロトタイプも変わってくる。とすると、プロトタイプに絶対性はなくて、「プロトタイプ」と「プロトタイプから外れたもの」の境界も曖昧なものになるので、結局「プロトタイプ」を決める意味もないのではないか?

>プロトタイプは共時的に違うが、通時的にも変化するのでしょうか?

>類義語とは家族的類似性を持った語のグループのことでしょうか?

>文房具のプロトタイプは絵に描けないというお話が面白かったです。知識の分業制という考え方を使えば、「丸い四角」は専門的知識からすれば存在しないけれど、日常的知識からすれば存在するなあと思って、少し納得しました。

>外国語教育において多くの意味をもっている多義語を「プロトタイプ」で説明するというのは分かりましたが、同音異義語の場合はどうなるのでしょうか。同音異義語のプロトタイプは認められないのですか。また、多義語か、同音異義語かの判定はどういう形でできるのですか。これもプロトタイプを用いて説明できますか。

>現代的アプローチによる意味の記述の際、典型的な中心的メンバーを規定することによって、その記述は完成するのでしょうか?中心になるメンバーを規定する、その後、何かが足りないような気がするのですが

>決定的なプロトタイプは存在するのですか。それとも主観の域を越えないのですか。

>コウモリは鳥のカテゴリーに入れても良いですか。

>プロトタイプというものがいまひとつわからなくなってしまいました。理解していたつもりでしたが輪郭があいまいな分かなり都合のよい概念ではないかという気がしました。

>専門的知識の領域でも、カテゴリーはいつも問題です。ミドリムシは動物か植物か、といったような話です。

>私はプロトタイプはどちらかというとイメージに近いものだと思います。目で見る形だけではなくて、例えば、「文房具」だと、どういう状況で使うかやだいたいの大きさとかがイメージとしてあるように思います。言葉が一定の社会の中で通じるにはそれぞれの単語や文のプロトタイプというのはあるでしょうから、おもしろそうです。「東大生」のプロトタイプなんて割とはっきりしているような気がします。
>...今回の授業では「大学生」あるいは「東大生」のプロトタイプの話がでました。これらは、制度的には「大学の通常は学部に所属しており、所定の課程を納めることのできる身分の者」のように定義づけることができるでしょう。しかし、日常的知識によれば、「多くの場合は20歳前後の若者」とうことになって、社会人学生は制度的(知識、専門的知識)には学生であっても日常的知識によればプロトタイプから外れたメンバーになる、ということになるのでしょうか。また、制度的には「学生は学ぶもの」かもしれませんが、日常的知識によれば、「学生は学ばないもの」というプロトタイプがあるかもしれません。
>プロトタイプは具体例としても抽象化したものとしても不十分だという話の後、バリエーションがどうこうといった先生の考えをおっしゃっていましたが、そこがよくわかりませんでした(バリエーションの関係)。

>子供が言葉を覚えていく時に、”鳥”なら”鳥”とどのようにカテゴリー化していくのか、興味があります。

>プロトタイプ理論では古典的カテゴリー理論を否定しているが、成分分析についてはどのように捉えているのですか。

>プロトタイプの実在性の項で、具体的なものそのものに実在しないのはわかったんですが、抽象的なものそのものには実在しない例で「文房具の抽象化」とあったんですけど、そこのつながりが今いちわかりませんでした。あと、古典的アプローチでは見えない事柄という所で、僕の考えでは1か0かにあてはめる(定義化)ために共通のものである最低限のものしか扱えない(つまり限定される)という批判を考えていたために、先生の古典的アプローチ批判が理解できませんでした。

>先生が指摘していらしたのはプロトタイプは必ずしも具体的なもの、あるいは抽象的なものではないことですが、文法化の場合はどうでしょうか?例えば、動詞から他の文法的な要素に変化していく場合です。なぜ動詞はプロトタイプだと思うのかと聞かれたときに、私は、それは人間の動き、つまり具体的な現象を意味するから動詞の機能をcentral memberにしたと説明したのですが、この説明は間違いでしょうか?

>ずばり「プロトタイプ効果」とは何ですか? プロトタイプカテゴリーがdown-to-earthであるという実感はあるのですが、プロトタイプ効果というのは、本能的にカテゴリー化を行った時に、自然とプロトタイプに相当するものを想定するという理解の仕方でいいのですか?

***その他

>先生は認知的アプローチは、生成文法と比べた場合、どちらが有効だと思われますか。長短/これからやるならこれだ!みたいなことをおしえて下さい。

>さらに言葉ごとのカテゴリーに加えて個人個人がおのおの持つカテゴリーまで考慮すると、人どうしがつながり合っていること自体が不思議に思えてしまう。わずかな「擦れ」や「かすり」がそのつながりの正体だとするとそれは驚きとしか言いようがない。

>現代的カテゴリー論が西洋的価値観にとって大きなショックだったという話でしたが、むしろこの見方こそが古代ギリシャの形而上学の根本にあったのではないでしょうか。つまり、それはイデア論のことです。アリストテレスらはプロトタイプを形相、具体的個物を質料と呼んで、前者が後者に様々なレベルで分け与えられていると考えていたと思うのですが。このようなイデアニズムは近代においてはどちらかといえば否定的な(近代科学は具体的事物からの帰納的思考を理念としてもっています)見方をされていたのですが、これが人間の日常的認知のシステムとして生き返ったのは興味深いことです。

>今日の講義は確かにヴィトゲンシュタインの思想にもつながることがわかりましたが、同様につながりがあるものとして、僕はユングを挙げたいと思います。東洋人である僕も東洋思想が得意なので「科学」に対してそっちの方面からアプローチしてみたいものです。

11月9日のクラスから

***プロトタイプとカテゴリー化再び

>先週話題になった組織立ったバリエーションは記述approachの弁別素性とはどう違うんでしょうか?つまり、記述の弁別素性は全体的に組織になっていないという解釈は可能でしょうか?

>前回、「言語が経験的に定義されている」というようなことをやりましたが、そうであるならば、その言語自体の核となっている絶対的なものは存在しなくなってしまうのではないでしょうか?言語に限らず、いろいろなものが経験的に定義されているのではなくて、絶対的な何かがあると考えることが、哲学ではよくあるので、このような「言語についての科学」を考えるときには、そのような「哲学」の範囲の話とはあまり関係がないのかなと思いました。

>前回のツェルタル語の分類で、corn、beanには上位がないとなっていましたが、plantの分類に入っているのだから、tree、vineと同じレベルにあってもいい気がするのですが、そのことについて記述はないのでしょうか?

>この前の授業についての質問ですが、プロトタイプについての質問ですが、ある文法範疇にもプロトタイプがあると先生がおっしゃいました(例えば、動詞らしい動詞)。同じく、テンスとアスペクトにもプロトタイプがあると考えられますか?例えば、典型的なpast tenseは「過去」のことを描写しますが、形態的にpast tenseであるのに、「過去」のことを指さない例もあります(例「ああ、見つけた。ここにあったよ!!」)

>basic levelから離れたり、プロトタイプから離れたりすると、ものと語の結びつきが弱くなり、「〜するもの」(よりカジュアルには「〜するやつ」)というような表現で表されるようになるのですね。例えば、「スパゲティトング」。昨日これを探し求めていたのですが、名前を知らず、「スパゲッティなどのパスタをとったり盛り分けたりする器具(もの)」と認識していました。これは、「調理器具」(でしょうか)というカテゴリーに入るのでしょうが、プロトタイプ的メンバーからは(日本の家庭においては)外れるということでしょう。最も、下位カテゴリーとしては「ステンレスのトング」が「一部がプラスティックでコートされているトング」などがあるのでしょうが。

***フレーム/スキーマとスクリプト

>言語活動を支えている知識が百科事典的な定義だけでなく、それに示唆される色々な事柄を含むということはわかりましたが、言語的な知識とは何かがわかりませんでした。単なる文法的知識なのでしょうか?

>高校時代、オーストラリアの友人に日本語を教えていましたが、教えるのに最も苦労したのがフレームの例であがったような「みかん」の意味でした。日本人はこれを反射的に理解できますが、習得しようとすると、極めて困難な問題のようです。このようなprofileはどうやって身に付くのでしょうか。nativeから習うものと(母語習得)、外国語として体系化されたものとして 習うものとでは、わかりやすさに差が出るものなのでしょうか。

>スキーマということばの使い方がわかりにくかったのですが、文章の中でどのように使ったらいいのでしょうか?

>スクリプト/シナリオはスキーマ/フレームの一部ですか?フレームの中で特に時間の流れとか一連のものとして捉える時にスクリプト/シナリオ(例がもう少しほしい)というのですか?
>フレームとスクリプトの違いがいまいちぴんとこないのですが、何か「これは!」という差はあるのでしょうか? 「かく」と「write」の例を挙げていらっしゃいましたが、これは今日の授業のどの辺と関わるのでしょうか?

>スキーマ/フレームが言語表現に影響を及ぼしているのは納得できますが、様々なフレーム同士のつながり、関係や構造といったものはわかっているのでしょうか。それとも、それぞれの言語表現の際に参照されるバラバラな知識なのでしょうか?

>前回の講義について、バイリンガル、トリリンガルの人たちは、使用する言語を変える時カテゴリー化の仕方も(意識的、無意識的に)その言語特有の仕方に変えるのでしょうか? また外国語を学ぶとき、母国語のカテゴリー化の仕方が邪魔になってしまうことがあるのでしょうか?

***プロファイル

>一つの言葉がprofileの仕方によって様々な意味をとりうる、ということは、面白く理解できました。言語習得にもかかわる重要な視点であると認識しました。 スクリプトについては、その内容は分かるのですが、それを「スクリプト」として設定することにどんな利点、意味があるのでしょうか?

>スキーマにおけるbaseとprofileの関係は、ある言語の使い手の恣意的な選択によるものと理解してよろしいでしょうか?

>例のwheelchairでengineという属性が入っているのが不思議です。また、chainが特に強いつながりを持っているのは理解できますが、wheelとhospitalやengineの間のつながりの強さはかなり違うと思います。

>アメリカで買い物をした時、おつりの渡し方が日本と違って、驚いたのですが、おつりに関してのプロファイルの仕方が日本とアメリカで違ったのだろうと思いました。

>wheelchairに関してchairwheelとならない規則があるのですか? 山狩りは場所をprofileしたものだと思いますが、紅葉狩りは何をprofileしたものでしょうか?きつね狩りと同じでしょうか?

>鷹狩り、きつね狩りで、何をprofileしたのかを示す語として鷹ときつねを上げられましたが、このとき「狩り」は用語でいうとどれに相当するのでしょうか?

>同音語の漢字の書き分けは日/漢語のフレームのprofileの差と見なしても良いでしょうか?例、「描く-書く」「飲む-呑む」

11月16日のクラスから

***類別詞について

>まとめて言えば、classifierがどのようにカテゴリー化の方法/表れとなっていますか。

>類別詞「本」については、何よりも(特に外国人学習者にとっては)「1本の本」といえないのが不思議です。類別詞「本」は、bookとは全く関係がないのでしょうか?

>蛇は細長いのに「一本」といわないのは、蛇の形に関する面に焦点を合わせているのではなく、爬虫類、動物、としての面に焦点を合わせているからなのではないでしょうか?
>...最後にヘビの例が出ていましたが、なぜヘビを1本、2本と呼ばないかというのは、ヘビは「生き物」というカテゴリーの方に強く属しているから1匹、2匹というように匹をつかうのだと思います。

>「本」と数えるもので気になったもの−歯、映画 助数詞自体も階層化されているのではないでしょうか。ペンは普通1本だが、1個でもなんとかなる。リンゴは1個で1本は明らかにおかしい。牛は普通一等だが、一匹でも何とかなる。バットは一匹で一頭はおかしい。しかし、リンゴ一匹、バッター一個はおかしい。(一番基本的な分類は生き物かどうか?)

>「巻物」と「はじめとおわりがあるもの」から連想される場合、分かれて広がっていくものなのでしょうか、それとも途中で合流するものでしょうか。そうなると放射状ではなく、ごちゃごちゃの網の目になりそうです。 映画やCM、素振りはどうでしょうか。

>ホームランと三振について、バットにボールが接触が問題ではないか。ファウルも「本」で数えている。

>投手と打者のかけひきでは、ふつうはボールに注目が集まるのではないでしょうか?打者のスイングは、ボールに当てたときに最も注目を浴びるのであって、それが「ホームラン」「ヒット」「ゴロ」などという形として表されるのだと思います。 佐々木の立つ三振ショーではフォークがどのくらい落ちるか、ストレートがどのコースに入るかに焦点が集まるようです。したがって、三振は打者のものであるよりはむしろ投手のもの、つまり「本」より「個」で表されるものなのではないかと思うわけです。

>柔道の一本は「わざ」のプロトタイプが「投げ」であるとすれば「軌跡」としてとらえられないか。

>形態が変わっていったり、抽象化されていったりした時にどこまで同じ類別詞が使われるのか、例えば蛍光灯、<細長い>から<リング状>へ形状が変わっても使われる。だが電球型までくると1本とは言わない。先割れ状のもの(2叉)は微妙。

>セールスマンが今日は契約何本とれたという。この場合の「本」の説明は。

>拡張5の「はじめと終わりが明確であるもの」が面白かったです。船便や飛行機も「本」で数えるのは、軌跡からきているのでしょうね。
>私にとっては列車は「n本」と数えますし、大抵の場合はそのように聞いてきたと思うのですが、駅のアナウンスで「駆け込まず1台お待ち下さい」という表現が観察されます...「台」については「可動性のある機械」がプロトタイプ的メンバーという結論を出したような気がします。たしかにバスであれば容認できると思いますが、列車の場合はどうしても容認できません。そこで、「台」の方は具体的にみえる機械としての列車、バス、「本」の方はダイヤとして計画された列車、バスというように考えられるかと思うのですが...

>「こりゃー一本とられましたな」の一本はどのように動機づけられるのでしょうか。僕が思うに原義として剣道の直接的な意味での「一本」があり、それを転用したものだと思うのですが。

>「〜つ」(1つ、2つ、3つ...)というのも助数詞なのでしょうか?これの使用にも何らかのイメージスキーマが関わっているのだと思いますが、「0つ」とか「10つ」とかいえない(と私は思います)のはどうしてなのでしょうか?

***その他

>hit his headというのとhit him on the headのちがいが説明を聞いてもよく分かりませんでした。

>base/profileがfigure/groundと類似しているとは言いますが、その相違点は何でしょうか。説明するとすれば、F/Gは心理学用語である等。

>「動機づけ」ということばをもう少し詳しく教えて下さい。

11月30日のクラスから

***メタファーとメトニミーについて

>メタファーとメトニミーの両者を含む場合がある。これは何と呼ばれているのでしょうか?例、「あのやかん(禿頭)がうるさいから」この場合、やかんは類似性と部分と全体との両者に関わると思われる。メタファーというべきか、メトニミーというべきか。または、別の呼称があるのでしょうか?

>うまく例が出ませんが、メタファーとメトニミーの区別がつきにくい場合があると思うのですけれど、そういう時にはどう考えたら良いのでしょうか?

***メタファーの性質について

>メタファーやメトニミーについては今までに何回か聞いたことがあって、漠然と理解していましたが、やや混乱気味でしたので、今回の説明ではっきりさせることができました。

>日常言語のメタファーは五感に関係するものが多いように思いました。それは、五感が、概念把握において最も分かりやすいよりどころだからでしょうか?

>文字どおりの意味とメタファー(詩的メタファー、日常言語のメタファーなど)を区分する必要がないという考えはわかりましたが、そうすると、概念に与えられたメタファーの役割がすでに認められている以上、メタファーの研究は表現研究にとどまるしかないのでしょうか?

>メタファーにおいてsourseとtargetは固定されているのでしょうか?「夕陽が目を射抜く」の例において、授業ではsource:射抜く、target :夕陽、としていましたが、「夕陽」によって「射抜く」のイメージが決定される場合もあると思います。2つのフレーム間のsource、target関係が相互に入れ換わることで意味が確定していくのではないでしょうか。

>metaphorについてはよくわかったが、simileに関しての扱いはどうなのか?「人生は旅のごときかな」ということわざは、言語学的にどういう扱いを受けるのか?

>be going to〜のようなメタファーは使用頻度の高さからメタファーに感じられなくなっているのでしょうか?

>例えば、Vしてみるという表現についていえば、表記上の区別はありませんが、意味的にはV+見るといういわばliteralな意味と、見るが補助動詞的なものがあると思います。実際、音声的には「の'んで`みる'」「の'んでみ'る」のように切れ目を表す区別があり、literal vs, metaphoricalの意味区別があるように思われますが、ここでは、理解が違うということでしょうか?

>targetにsourceがかぶさってtargetとなる概念が拡張されるという話でしたが、sourceがどの程度複雑ならよいのでしょうか。life is a journeyの例ではjourneyはlifeより単純ですが、moveよりは複雑です。sourceはtarget よりも複雑にならないものですか?
 とても複雑で概念化しづらいもの(target)にsourceの概念化がある程度しやすい概念がかぶさるということですよね?例えば、「山登りは人生だ」とか「旅は人生だ」ということがあると思いますが、この場合はどうなのでしょうか?

>メタファーと図式化とはどう関係するのでしょうか?概念(の集まり)を投影した図や表は非常にスリムなメタファーだともいえると思います。

***より広い問題

>国語学と認知的アプローチの関係を簡単に教えて下さい。(本郷の先生が、今の認知的アプローチとなぜか国語学の伝統がマッチすると言ってらしたので。)

>「空間は具体的である」という発想に感心しました。方向性や位置関係というものがなるほど見事に含まれていますね。今日の授業では、いかにしてヒトが抽象概念を言葉に組み込んでいったかがぼんやりと感じられました。それに加え、文法のメタファー性から理解や認識のメタファー性をも考えさせられました。  小学4年生は急に授業内容が抽象的になるため苦しむそうです。その問題をいかにして解決するか、あるいは、4次元という得体の知れないものをどう把握するかなど。...と少々こじつけるように教育を考える素材として応用してみました。  量子化学や相対論では頻繁に登場して理系の生徒を苦しめます。空間で時間や感情の理解が助けられるが、この4次元という空間概念はどう理解しろというのか?

12月14日のクラスから

***Overについて

>TVゲームなどで、ミスすると"game over"になりますが、ここで言う"over"はどのように考えればよいのでしょうか?講義で出てきた"over"の用法のどれにもあてはまらない気がするのですが。

>'overthrow'について、「転覆」と「上手から投げる」という意味が考えられる。この場合、TRとLMとの関係図式も異なると思う。これは多義語でしょうか?同音異義語でしょうか?

>"Do it over"という例がありました。これについては、「仕事は積み重ね」というようなスキーマがあって、もう一度行うときには、すでに仕事を行った上に重ねて行うということになるからではないか。というイメージを持っているのですが、いかがなものでしょうか?

>The fence fell overは地面がLMではないのですか? Roll the log overやThe fence fell overは転がる、倒れるという移動の様子からoverが使われているのではないでしょうか?Sam walked over the hillは弧を描くように動いています。over1つでも色々なスキーマ変換や、メタファーの関与がありこんなに派生することに改めて驚きました。

***メタファーについて

>メタファーについて理解が少しは深まったと思います。(以前は何の知識もなかったのに)レポートを書いていて、文法についての話に興味を持ったので、今後の講義も楽しみにしています。

>前回のメタファーの分類のところで、「慣習的メタファー」「汎用メタファー」「イメージスキーマのメタファー」の3つの違いがよくわかりませんでした。特に、「イメージスキーマのメタファー」という分類を別にこしらえる必要性があるのかどうかという点について。

>民族的モデルの話で、アイヌ語の地理的名称、地名(固有)について思い出しました。金田一によれば、「山」「川」「海岸」などのまとまりをなす地形の各部名称はすべからく人体名称によるようです。「アイヌ語正典」では不毛な批判がなされていましたが。

>類推について少し触れられましたが、メタファーの研究によって人間の類推のしかたの一般的なパターンがわかったてきたというようなことはありませんか?

***品詞について

>名詞が時制を持つ言語というのはやはりありえないのでしょうか?

>品詞との関連で気になったのは、日本語で存在について反意語(そうよんでいいのか分かりませんが)となっているpairが「ある」と「ない」という動詞-形容詞となっているのはどのような背景によるのでしょうか?純粋にとある意味的なfeatureが+-で違うだけではない、といことなのでしょうか?

***その他・一般論

>ネットワーク的分析のねらいは現在使える用法を網羅的に説明することだと思うのですが、これはその言葉の歴史的な変遷のあとを示すのでしょうか?それとも、その話者の認識の広がりを示すものなのでしょうか?

>だいぶ前の話になりますが、ツェルタル語のカテゴリー化の話がありましたが、その調査において何と何が同じレベルのカテゴリーであるかを決める(例えば、pine, willow, corn, beanにあたる語のレベルは同じだと決める)ときの根拠は何なのでしょうか?

12月21日のクラスから

***品詞カテゴリーについて

>今日の授業が身近なケーススタディーとは違って少し分かりにくかったです。いろいろな言語について知れば知る程、今日のような話しは面白くなると思いました。

>「〜まま」は単独では主語になれないが、「そのままが良い」などとは使えるので微妙かと思う。

>「そぼ降る」の「そぼ」は「そぼろごはん」ですか?何かパラパラという感じでしょうか。
>「そぼ降る」について、「そぼ」が動詞だとしても、「そぼ降る」で一個のことばとみなすことはできないか。理由としては「そぼ」には生産性がなく、一般化できない。つまり、語彙化とみなしてはどうであろうか。

>Hopper & Thompsonでは(又他の研究においても)動詞の典型としてactiveなことが考えられています。そうするメリットはあると私も考えますが、その説明は類型論的に説明されているのでしょうか。

>英語では、語彙の拡張が動詞(destroy)−>名詞(destruction)という方向でおこることが多いのに対して、日本語では名詞(破壊)−>動詞(破壊する)が多い。これはもちろん、漢語から入ってきた言葉を日本語として活用させる(=動詞として使う)ためでしょうが、このように優越する品詞の違いが思考にどのような影響があるのか、興味があります。

>どんな言語でも、別の言語からの翻訳は訳文のスタイルを気にしなければ可能である、ということをよく読みますが、形容詞というカテゴリーが小さい場合、他の言語で表された全ての文を表現しうるのでしょうか。

>英語では、限定用法/叙述用法という分類を行っていますが、前者が指示の限定を加えるなど名詞に近く、後者はある名詞についての記述ということで動詞に近い、というように考えることが出来るでしょうか。また、どちらかの用法でしか使えないという形容詞がありますがそれらのものはより動詞らしいもの/より名詞らしいもの、と捉えればよいでしょうか。(例えばpred.しか使わないworthならば動詞的である、とか)

>「黄色な」と言えるかどうかという問いがあったが、「〜色な」という表現を考えてみると、色によってずいぶん違和感の程度が異なるように思う。個人差もあるかも知れないとも思った。

>名詞と動詞の中間が形容詞であるという説になるほどと思いました。
>形容詞が名詞的と動詞的(「名詞」、「動詞」に非ず)の中間である、というのに対して。中間というのもある程度の偏りで名詞的、あるいは動詞的におさまっちゃうと思ったんですが、その瞬間の具体例が分かりません。教えて下さい。

>多くの言語には名詞、動詞、形容詞がありますが、タイ語の中では二つの議論が分かれています。一つは形容詞というカテゴリを認めること。もう一つは形容詞としてではなく、状態動詞であって、タイ語には名詞と動詞があるというふうに大きく分けて主張する人もいます。私は後者の考え方が説得する能力があると思います。つまり、the so-called状態動詞は動詞らしさの特徴を持っているためです。でも、今日の授業を聞いて、また別のparameterを使って、テストしてみたいと思います。

1月18日のクラスから

***文法関係について

>文法関係についても思ったのですが、何にでも「普遍」を求める気持ちもわかるのですが、必ずしもすべてがその「普遍」になると考えるのは間違いでしょう。

>英語はだいぶん主語に重きが置かれているとありましたが、いろいろな言語の比較をすると、英語やフランス語やドイツ語はとても似ているけれど、日本語はなぜこんなにも違うのだろうと疑問がわきました。
>英語が主語を重視する言語であるというのはなんとなく納得できますよね。自我の強さというか、そうすると、主語がすべて自然や神であるような言語もあるのでしょうか?言語がその使用者の思考用式の反映であると見ると興味深いです。

>対格言語と能格言語についての説明は、おおざっぱには分かったと思います。それぞれの特徴についてより詳しく知りたいのですが、参考文献としてはどのようなものがありますか?

>grammatical relationのEnglishの5)のCで[= O speak to B]と言っていますが、Oscar went to the store and was spoken to by BillだとB speak to Oの意味になりませんか?B speak to O の受け身形だと思うのですが。
>今日の講義で、プリントで説明されたgrammatical relationsのEnglishの1)〜4)までの説明がいまいちわかりませんでした(特に、b)*とc)のつながり)。もう一回説明して下さい。僕は、たとえば、to不定詞の主語(的なもの)になるのはb)で目的格を持ってくることがだめなことを、主格がコントロールしている、すなわち、主格が主語で、コントローラーは主格だと理解しているのですが。あと、コントローラーとターゲットは対応関係にあるのですか?

***自動詞の二分化について

>他の授業で「日本語の2つの自動詞を分析する」というような課題が出ました。今日の授業では日本語は対格型ということでしたが、日本語の自動詞の文の主語でも、能格的なものがある気がしますが。

***構文について

>「みだりに〜」の例のように、用法に関して、〜否(令)呼応をとるということをルールと見るより、知識のスキーマの中のプロトタイプ(というのは、個人差もあるのが自然に思えますし)と見るというのが正しいのでしょうか?構文を意味の単位と見るならば、用法のばらつきも一種の多義性と捉えるべきですよね。(この考え方超感動しました)

>「みだりに持ち込むな」(否定・命令)は確かに一番自然に使いやすい「みだりに」を含んだ構文だと思います。しかし、「みだりに人に言ってまわるのはひかえたい」「図書館でみだりに大声でしゃべるのはどうかと思う」などを考察するに、「みだりに」ということば自体、否定的な意味合いを持っているので、意味としては「自由に好きなように」だが「どうぞ、みだりにお茶を入れてのんで下さい」はおかしくなる。「みだりに」はそれ自体否定的でのぞましくないニュアンスを持っているので、普通そういうことはやめてほしい、禁止したいという自然な流れとなり「みだりに〜なことはやめろ」が例としてたくさん見つけられるということではないでしょうか?

>中心<-->周辺に関して、むしろ周辺的、例外的なものの方が優先的に参照されている(対応可能な「中心的要素」があってもキャンセルされる)ように思うのですが。

>言語習得の方法論の歴史の中でpattern practiceがもてはやされた時代があったと聞きました。この方法は、あまりにも意味を考慮することなく、無機質に行われていたために次第に批判されていった、ということだったと思いますが、実際のところ、「文法は構文的スキーマの集合」という文法観からすれば、有効なのではないかと思いました。経験的にも運用面で有効と感じていましたが、理論的backgroundを得た(というとおおげさですが)という気もします。

>受動態は能動態の派生ではなく、意味も異なるということであれば、別個の構文であり、独自の用法があると理解してよろしいでしょうか?

>「構文の意味」は生成文法だと語用論の問題として片づけられるのだと思いますが、構文の意味と単語の意味は連続していると考えるのでしょうか?とすると、ディスコースや文体の「意味」もその延長上にあると考えてよいのでしょうか?

>構文別と言い出すとまた多くのパターンが現れてしまって蓄積される知識が断片的になってしまうような気がします。やはり、それらの構文を結びつける何かはあるのでは?構文にもprototypicalという視点はあてはまるのかな、と思いました。

>旧来の文法観、つまり意味を担う最小単位(単語)がある規則によって整序されることで情意の意味が生じる、という考えは明らかに、分子(→原子→量子)の運動として全ての現象を説明しようとする近代科学のニュートン=ラプラス的パラダイムとパラレルであるように思います。やはり、現象や意味の連続性、非個体性を重視するというのが、近年の学問全体の傾向だといえるのでしょうか? 今、言語学全体におけるチョムスキーの地位というのはどのようなものなのですか。

***中断節について

>中断節から出てくる意味は否定的なものが多いのではないかと思いました。言いにくいことを避けるという意味で。

>中止め文の持つ+xはその省略された部分と同じではないのですか?コンテクストから明らかに理解されるorくみ取れる時に中断し簡略化するのではないでしょうか?

***その他

>授業の内容には直接は関係ないのですが、認知言語学は言語相対論と呼ばれるものに対してどの様な姿勢、アプローチをとるのでしょうか?

1月25のクラスから

***言語習得について

>「UGの探求」というアプローチ以外で(認知的でなくとも)言語習得についての研究はあまりないのでしょうか。1950s以前の研究であれば異なる方法が使われたのではないでしょうか。

>生成文法的アプローチでは、言語習得はパラメータの設定の仕方を習得する、ということになるのでしょうか?

>生成文法的理論による言語習得では、「普遍性原理」をモデルにして母語以外の言語を習得する、ということになるのでしょうが、「構文本意文法観」によれば母語の構文ネットワークからのanalogyがある程度モデルになるのでは、という気がします。母語干渉も理解しやすい、ということになるのではないでしょうか。

>認知的アプローチからみた言語習得は生成文法と比べて納得できる部分が多いが、ではどのような形でネットワークがコードされ記憶されているのかという部分に疑問・興味がある。

>文法と単語の習得を同一レベルで扱うということは、習得の順序とは関係なく、ある出来事を捉えてただ(構文として)憶えるということですか?
>今日のテーマは非常に興味深かったのでもう少しお話を伺いたいのですが...

>心理学の授業では単語の習得と文法の習得には差がある(臨界期など)と聴いた覚えがあります。2つの習得は同一レベルで捉えるのでしょうか。

>幼児は自分の母などまわりにいる人たちの言葉をまねして繰り返して使うようになると思いますが、すべての構文や言葉をまわりの人々が使っているとは考えられないので、そのように考えるとき「普遍的文法」は納得いくものであるように思えてなりません。

***構文的意味について

>構成素原理について(部分の集合が全体ではない、全体には全体の姿がある)ということは構文をゲシュタルト(でしたっけ?)的に考えるというふうにとらえてよいのでしょうか?

>A(1)+B(2)の意味が1+2+3になるときのBには、構文からの意味だけではなく文脈共有方法他、多くのことが関わり、さらにそのすべてを加えても一つに決まらずあいまい性を残すように思います。

>中止め文についての例で、「〜し」はopenな接続ですが、理由以外に意味はあるのでしょうか?普段、日常会話の中で中止め文はよく使われますが、今日の授業のように詳しく分析したことがないので、授業をきいて中止め文はその文にバラエティーを与えていると感じました。中止め文を使うことによってより感情表現が豊かになっているように思います。

>「節−のに」に続くはずの節は、だいたい相手の非を表す節だと思います。それを省略するのは、あえて表現して相手と争いを起こしたくないという、日本人らしさの表れなのでしょうか。

>「〜のに」「〜だし」を構文として頻繁に用いるのは授業中の例の子供に限らず私たちにも当てはまることですよね。「ってゆうか何もすることないしぃ」のように、いわゆるコギャルの子が特に多く使っているように思います。私自身も例外ではありません。はっきり明確に主張できなくて暗示を控えめに押し出すような話し方は、「〜みたいな」「〜ってカンジ」に通じるような自信の弱さを示すものでしょう。中止め文を私たち現代っ子が使いたがるのがわかる気がしました。

>言語が構文ネットワークなら、言語を用いるのは人間の脳に規則がないかあるかという問題ではないのですね。なら、他の動物が言語を用いないというのは本当に正しいのですか。音声以外の手段で言語を持っているのではないのですか。

***その他

>言語のことをよくよく考えたことなんて今までなくて、最初の頃はつらかったのですが、やっとわかってきて授業もおもしろくなってきました。

>日本語ではwh-節は動かない、ということについて。私は「何をあなたは今日食べる?」という文にそんなに違和感はありません。その辺はある程度動かせると思います(傾向として正しさの差はあるような気もしますが)。

>「人間関係のメタファー」が(液体)として捉えられているか、少し考えてみましたが、あまりいい例は思いつきませんでした。つき合いが「深い/浅い」というのは少し関係するような気がします。「関係がこじれる」の「こじれる」は他にどいういう場合に使うのか(でも液体ではないですね)とか「社会のはみ出しもの」のような「はみ出す」はどうだろう...とか考えました。

>他の授業で手話も自然言語であることを学びました。手話の文法構造についての研究はどのくらいまでなされているのでしょうか。

>自然言語、いわゆる会話する上で用いる言語[について]。人工言語、プログラミング言語とか日常で会話機能を果たさない言語、と定義した場合、認知言語学は自然言語に、生成文法は人工言語に適していると思います(人工言語については生成文法理論を適用した結果できた言語かもしれませんが)。やはりイディオム的な、というより音韻的なヤコブソンの6機能図式のcode以外の残りの5つに即した5機能が会話には存在するでしょうから。

>「ウキー」ってことばかも。いますごく悩んでいます。どーでもいいことかもしれませんが。

>「文法」という概念がでてきたのはそもそもいつ頃ですか?たとえば、古代ギリシャ人は自分たちの言葉を他民族のものと比較して、「文法」というものの存在について何か考えたりはしていますか?あるいは日本人はいつ頃から自国の言語の「方則性」意識しはじめたのでしょうか?

2月1日のクラスから

***言語と文化・思考について

言語/文化は強く結びつくという説についてですが、最近mentaleseという共通の思考様式について聞いた気がするので、考え方はいろいろあるなと思いました。(どちらも割に説得力があるように思えたので。)

言語と文化(思考)については、今興味のあるテーマなので、その話が聞けて良かったです。言語が異なれば確かに文化も異なることは何となく理解したのですが、個人的な意見としては、思考そのものの本質を考える際には、たとえ使う道具としての言語が違っても脳の中心部分ではなんらかの共通の記号のようなものを使って思考しているように思えてなりません。

事象構造の組み立て方が言語によってどれくらい異なるのか、とても興味があります。もっとこのような研究が増えるといいと思います。

Perspectiveという概念の中には、時間的な問題やmodality以外にtransitivityも入っているのでしょうか?たとえば、新情報を導入する時に、主人公の目から見るか(I found ...)日本語のように「がいる/ある」というようなものです。

確か単語レベルの失語症と文レベルの失語症があった気がしますが、そうすると、単語と文法が脳の異なる部位で扱われていることになり、単語と文法の知識は分けられないことになりませんか?でも、すると、文法化が生じると、同じ語が脳の別の部位で処理されるようになることがあるということにになり...興味深いところです。

***言語変化・文法化について

言語変化のうち消失したものは文の中で重要度の低いものとみなしてよいのでしょうか?性のカテゴリーは英語は消失しましたが、フランス語、ドイツ語では残っています。この差は何にあるのでしょうか?

昔の言語を研究する時、その変遷を単にたどるのではなく、その時々の特徴を見ていくやい方もあるのでは、という先生のご意見は「通時的にではなく、共時的に見るのはどうか?」と僕には思えて興味深かったです。

文法化のような言語変化の場合、国語学で詳しく調べられているのでしょうが、国語学での研究との差異はどこにあるのでしょうか?

文法化ってメタファーに似ていません?あるスキーマを別のスキーマに飛ばすってところがなんかすごくメタファーを連想してしまうんですけど。それと、言語習得について学びたいので何かためになる資料などあったら教えて下さい。

Sentenceの最後にくるpartに対人的な負荷がかかるとは...どういうことかより詳しく知りたいです。

他の言語はわかりませんが、日本語についてのpartの部分の負荷、すごくおもしろいと思いました。日本人の文末をにごすという性格がまるで言語にまで表れているような気がしました。対人的な働きかけも、授業で取り上げた「わけ」にしても、たとえば、「○○へ行って来たわけ」というのが、前述の部分を指す(その理由を述べる)だけじゃなくて、その先を暗示させる感じがあります。うまく使うのが難しい言語なんだろうなぁと思いました。(心使いのできる人じゃないといけないかもしれないし)

文字言語と接続詞の発展の関係という話が興味深かったです。実際、電話で話すときに比べると、手紙やメールで伝える場合の方が接続関係をよく考えて接続詞を置かなくてはならない、と感じることがよくあります。

語彙化について、「ぶ」「ど」などの接頭辞が定着した場合、語彙化されたと言えますか?例:「ぶっ飛ばす」「ど真ん中」

日本語の(動詞連用形)+(動詞)の例がありましたが、たとえば、「駆けのぼる」「のぼり詰める」は言えても「駆けのぼり詰める」とは言えないというような適応の組み合わせ(ステップ数)の制限がかかっているように思いますが、これはどう考えるべきですか?

ヒトの認知の仕方が言語的側面から見れて勉強になりました。しかし、言語学における細かい話が私には頭の中であまり整理できません。特に文法のところです。語彙->文法にシフトする話の例で、「まいらす」->「ます」になるというのがありましたが、「まいらす」がなぜただの語彙で「ます」が文法であるのかがよくわかりません。「まいらす」も動詞なら何らかの規則を受けているので文法なのではないのでしょうか?

***感想・他

最近メタファーの研究が流行っているとある先生にうかがったのですが、具体的にどんなことが行われているのでしょうか(授業でお聞きしたこと以外に)?

一学期ありがとうございました。もやもやとしていた事がすっきりしてきたところが多くあり、嬉しく、感謝します。
授業を受けるかたわらウンゲラー、シュミットの教科書を併読することで非常に理解が補強されました。

来学期にでも文法に関する授業を半期でもやってもらえるとありがたいです。

### というわけで、またお目にかかりましょう。まあ、私は眼鏡をかけている時もあまり見えない上に、人の顔をすぐ忘れるので(^^;)、ボーっとしていても声をかけて下さい。 ###

Last modified: Feb. 3, 1999